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ガンダーは人口1万400人の町です。

赤十字がやって来て、
ガンダーに着陸させられた全航空機の乗客
約1万500人を町に移送し始めました。

そして、ホテルで休み、
そうすぐには指令が来ないだろうが、
そこで指示が来るのを待つよう言われました。

ホテルについてテレビをつけてようやく、
母国での連続テロ事件の全容を知りました。

事件発生からは24時間が経過していました。

機内に戻れという指令を待つ間、
私たちは町に出てあちこち探索し、
地元の方々の温かい対応に触れていました。

私たちのことを“飛行機の人たち”として
迎えていれてくれた町の人々は、
本当に優しく親切でした。

乗客たちは、2日後の9月14日午前7時に
指令を受け取るまで、

この小さな町ですっかり心休まる
素晴らしい時間を過ごしていました。

私たち乗務員は午前8時半までに空港に到着、
航空機は午後12時半にアトランタへ離陸、
午後4時半にアトランタに到着しました。

しかし、
伝えたいことはこんなことではありません。

乗客が話してくれた、
私たちの心を明るくしてくれた驚くべき
ストーリーをお伝えします。

ガンダーから半径75キロ以内にある地域で、
すべての高校、集会所、宿泊施設、
その他の大きな集会施設のすべてが
閉鎖されました。

こうした建物をすべて
待機施設に変えたのです。

住民は簡易ベッドやマット、寝袋と枕を
準備していました。

また地元の高校生は全員が
この“客人”を世話するボランティアを
してくれました。

私たちの航空機の218名の乗客は、
空港から45キロほど離れた場所にある
レビスポートという町に移送され、
地元の高校に寝泊りすることになりました。

女性専用施設に入れて欲しい
という女性がいればその望みは聞き入れられ、
家族は一緒に過ごすことができました。

高齢の乗客は例外なく個人宅に
迎え入れられました。

ある若い妊婦は、24時間体制の
緊急治療センターから道路を挟んだ
向かい側にある個人宅に受け入られました。

待機期間中、高校には当直の医師と
男性女性両方の看護師が配置されていました。

またすべての乗客がアメリカやヨーロッパへ
電話やメールを1日に1度利用することができました。

この間、乗客には“観光”に行く
選択も与えられました。

湖や港での船遊びに行った人、
地元の美しい森に散策に出かけた人もいます。

地元のパン屋さんは彼らのために
遅くまで店を開けて新鮮なパンを
焼き続けいました。

高校に残ることにした人たちには、
住民が用意した食料が運ばれました。

そのほかの人たちは気に入った食堂まで
地元の人が送迎してくれ、
そこで食事をしました。

また、
荷物は依然として航空機の中にあったので、
地元のコインランドリーで洗濯するための
専用コインも与えられました。

このアンラッキーな旅行者にとって、
必要なものはすべて手配されていました。

そして、
乗客は全員時間通りに空港に送り届けられ、
誰一人として遅れたり、いなくなったり
した人はいませんでした。

これは空港に待機していた赤十字が
乗客の動向を把握し、どのグループが
いつ空港に向けて出なければならないかを、
しっかりと管理くれていたおかげです。

信じられないほどの完璧さでした。

再び搭乗した乗客は、ちょっとした
クルーズの旅に行ってきたかのような
面持ちでした。

そのころには、
誰もがお互いの名前を知っていて、
滞在期間中のお互いの経験を話しながら、
素晴らしい時間に感心し合っていました。

どの話にも驚かされました。

アトランタへ戻る機内はまるで
パーティのような雰囲気でした。

ともにこの難局を乗り切った乗客たちは
すっかり意気投合し、名前で呼び合い、
電話番号や住所、メールアドレスを
交換していました。

そして、
さらに通常では考えられないようなことが
起こりました。

あるビジネスクラスの乗客が
私のところにやって来て、

ほかの乗客に向けて機内アナウンスで
話したいことがあると言うのです。

通常だったら絶対にさせないことです。

しかしこのとき、
私の中で彼の邪魔をしないでという声が
聞こえた気がしたのです。

それで私は『もちろんです』と答えました。

その紳士はアナウンス機器を手に取ると、
乗客に向かって、

この数日間に自分たちが何を経験したか、
またまったく見知らぬ人々から受けた
真心のこもったもてなしについて
思い起こそうと語りかけ始めました。

さらに彼は続けて、レビスポートの
素晴らしい住民に何かお返しがしたい
と言いました。

デルタ15(私たちのフライトナンバー)
という名前で信託基金を設置し、

レビスポートの高校生の大学進学を
支援する奨学金をそこから出そう
と言うのです。

彼は長旅をともにした乗客たちに、
いくらからでもいいと寄付を募りました。

私たちのところに寄付額、氏名、電話番号
と住所が記載された紙がまわってくると、
合計寄付額はなんと1万4千500ドル、
約2万カナダドル(約145万円)にもなっていました。

この行動を起こした紳士は
バージニア州に住む医学博士でした。

彼は、この募金金額と同額を自ら出資し
倍額にして、基金設立のための諸手続きを
開始すると約束しました。

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この物語は「カム・フロム・アウェイ」という
ミュージカルとなり、トニー賞で7部門に
ノミネートされ、

トニー賞に次ぐ大きなアワードで
作品賞を獲得しました。

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とても、心温まる感動的な物語ですね。

9.11という最悪の事件の裏側で
こんなに感動する物語があったなんて
知りませんでした。

困ったときに人の優しさって
計り知れない心の支えになります。

ぜひ、友達にシェアして
教えてあげてください。

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