私はクアラルンプールに口コミ最高の塾を作ります。
それまでの軌跡を記事に書いていこうと思います。
目次
クアラルンプールに口コミ最高の塾
クアラルンプールに口コミ最高の塾を
作るため全力で頑張ります!!
【問い合わせ先】
電話: 0172263586
Email: kawashima@kawashin.info
1、場所:JSKL(日本人学校)近郊の、
Oasis Square,B-2-03,Jalan PJU 1A/7A,Oasis Ara Damansara
2、授業内容:
【開講予定の講座】
➀自立型個別授業「RED」
➁1対1ネット個別授業
➂ネットで行うそろばん講座「デジそろ」
【今後、開講したい講座】
➃読解力養成講座
➄各種検定の対策講座
➅東進衛星予備校自宅学習のサポート(日本では大学受験と言えば東進です)
などなど、様々な試みを思案中です。
お子さまに最高に満足してもらえる
クアラルンプールで口コミ最高の塾にします。
かわしま進学塾ホームページ
かわしま進学塾は人との縁を大切にする塾
わたしが作りたい塾は、
生徒が楽しく塾に通ってきて、
それなのに成績が上がる塾です。
今までも生徒とたくさん話をして、
生徒の進路や勉強の悩みを聞いたり、
将来の夢について語り合ってきました。
だから、
わたしが山口市で経営している
かわしま進学塾には、教え子たちが
大学生になって講師として
後輩を教えてくれたり、
そのまま社員になって務めて
くれたりしています。
何人もの教え子の結婚式にも
招待してもらいました。
今では、教え子が自分の子どもを
かわしま進学塾に通わせてくれる
ようになりました。
かわしま進学塾ホームページ
かわしま進学塾で「夢を見つけ、夢を育む。」
わたしが経営している
かわしま進学塾の広告に、
いつも書いている塾の理念です。
生徒と語り合うことで
多くの生徒はわたしに夢を
語ってくれます。
中学3年生の夏合宿では、
「夢作文」を書いてもらっています。
「夢なんてありません。」
そう言っていた生徒が夢を絞り出します。
別に絶対その職業になれってわけではない。
自分の将来のことについて
考えるきっかけになり、
短期の目標を設定するだけでも
夢について考えることって
大切なことだと思います。
夢を語れない大人が増えました。
わたしも、ちょっと恥ずかしい。
わたしの今の夢は、
「お世話になった地域を教育を通じて明るい豊かな街にする」
ことです。
クアラルンプールと山口市の子どもたちを
ネットで繋げてお互いの夢を語り合う。
そんなイベントができたら最高です。
かわしま進学塾ホームページ
かわしま進学塾は教育の均等化を目指す
クアラルンプールにいると、
日本の子どもたちがどんな勉強をしているか
とても気になります。
特に多くのお子様は、
中学受験や高校受験のタイミングで
日本の学校を受験するために帰国します。
2018年の日本人学校の中学校3年生の
生徒数は40名程度で一クラスです。
わたしが20年日本で塾を経営し、
多くの塾長仲間たちと連携を取りながら、
日本で受けている教育を
クアラルンプールでも受けれるように、
日本の塾とのネットワークを駆使して
最善のシステムを提供します。
ご興味のある方は、
まずは、ご気軽にお問い合わせください。
お問い合わせはこちら
クアラルンプールで口コミ最高の塾を作るために
いろいろな情報を募集しています。
この塾はクアラルンプールの教育環境を
高めるためにいろんなニーズを聞いて、
顧客と一緒に作り上げていきたいと思います。
かわしま進学塾ホームページ
まずは、私の紹介から・・・。
川島 力(かわしま つとむ)プロフィール
私は1975年2月2日に福岡で生まれました。
出身高校は八幡高校です。
高校のときの成績は、ブービー賞。
伝説的に勉強が苦手な友人がいたおかげで、
なんとか最下位は逃れました(笑)。
そんな、私も高3の夏に部活を引退してから
は勉強に火が付き、なんとか山口大学に
現役で合格しました。
山口大学では、高校からスラムダンクの影響
で始めたバスケットボールのサークルに所属。
当時、200名以上の部員の会長を
やらせてもらいました。
大学のときに、恋愛以外で、
一番夢中になったのが塾のアルバイトです。
人前で話すのが苦手だった私が、
時給の高さにつられてバイトをはじめ、
どっぷりつかってしまいました。
山口県では最大手の塾で
数学と理科と社会を担当。
大学1年の終わりから本部校のTOPクラスを
担当させていただけるようになりました。
公立入試の解説でテレビにも出演しました。
これは、俺の天職だ!!
就職活動も全くしないまま、その塾に就職。
1年目から教室責任者を任せていただき
2年目には、新規開校の立ち上げを2校担当。
なぜか、生徒がいっぱい集まってくれ、
天狗になっちゃいました。
3年目の春、塾と運営に関しての
意見が合わず退社。
若気の至りで後悔です・・・。
かわしま進学塾(KAWASHIN)を開塾
自分にできるのは塾しかない!!
俺がやったら他の塾に負けるわけない!!
という妙な自信で、一緒に辞めた
男3人で創ったのが、
「かわしま進学塾」です。
当時24歳でした。
設立当時に3人の合計所持金は50万円のみでした。
不動産を回っているうちに、元教え子の
お父さんがやっている不動産にたどりつきました。
そのお父さんは、
「若いものががんばることは応援する!」
そういって、月13万円の家賃の物件を、
敷金礼金すべて免除で月5万円で
貸してくれました。
※この経験から、私は、マレーシアへの留学支援や、
山口市で若者の就職支援活動を行っています
そればかりではなく、3人のお子さんを
通わせてくれ、夜にはお金のない私たちに
ほぼ毎日、弁当を差し入れてくれました。
当時、私たちは、毎日コーヒー2本、
一日1食と決め、日々をしのいでいました。
当時、実家が米屋だったので
米とレトルトの食品は親が
送ってくれました。
男3人で作業を分担。
料理係、掃除係、米を炊く係。
私は、米を炊く係です。
ある日。米俵の中に虫が湧いていました。
私は、そのまま、米を炊きました。
だって、食べるものはそれしかなかったんです。
でも、3人とも大丈夫でした(笑)。
塾は順調に生徒が増えてくれました。
16時から1時間個別授業。
17時半から19時まで小学生の集団授業。
19時半から22時まで中学生の集団授業。
22時から1時間個別授業。
23時から1時間個別授業。
これが毎日でした。
ある日、個別授業の問い合わせがありました。
すいません・・・
24時までいっぱいです。
24時からなら空いてますが・・・
半分、冗談で言ったら、
では、24時からお願いします!
って多い日は、
24時から1時間個別授業。
25時から1時間個別授業。
24時からプリント代だけの50円授業を
受験対策でやったこともありました。
2年目に現在の大内に校舎を移転。
その時には生徒は100名を超えていました。
200名、300名と生徒が増え、
校舎も4校まで増え、
生徒数500名を超えました。
倉庫を改良して作った高等部。
生徒の要望で掘りごたつを作ったり、
KAWASHINクエストなどのイベント。
卒業生送り出しバンド演奏。
そして、私たちの結婚式。
結婚式には生徒や保護者が300名以上
集まってくれました。
そんな、かわしま進学塾も
20歳になります。
校舎をフランチャイズ化したり、
東進衛星予備校、COCO塾ジュニア、
通信制高等学校の設立、そろばん塾と提携。
スタッフたちも成長してくれました。
クアラルンプールに単身移住
ある日、スタッフの一人が、
わたしの代わりに社長になることを
提言してきました。
当時、私はJCに所属し、
会社の運営よりも山口市への
地域貢献に力を注いでいました。
当時そのスタッフは実質、私の代わりに
かわしま進学塾を矢面に立って
運営していました。
二つ返事で承諾しました。
寂しい気持ちもありましたが、
嬉しい気持ちの方が大きく勝っていました。
社長を譲ると決めてからは、
できるだけ経営には口を挟まないように
決めました。
私には新しいチャレンジをするための
時間ができました。
私は、だらだらと時間を過ごすのは
大嫌いです。
その頃、愛娘が小学生に入学。
幼少のころからやっていた
ディズニー英会話講座のおかげで、
小学校1年生で英検準2級に合格。
将来、
ディズニーのダンサーになりたいという
彼女の夢をかなえるために
海外に移住することを決めました。
マレーシアを意識しだしたのは
そこからです・・・。
ディズニー英会話講座に
興味を持った方は無料DVDを
聞いてみて下さい。
高額な講座ですが、まじめにやれば、
必ず力はつきます。
↑↑スマホは見れない場合があるので、PCで見てください。
マレーシアを意識したきっかけは、
奥さんが見つけた母子留学のテレビ番組です。
マレーシアは2020年までに先進諸国に
なるためイスカンダル計画を実施しています。
その一環として、ジョホールバルは
教育特区に指定され、世界的に有名は
マルボロやラッフルズなどの
インターナショナルスクールが
誘致されています。
当時、ジョホールバルで母子留学の斡旋を
行っていた花岡さんと会えるツアーが
JCの教育部会主催で行われていたので
参加しました。
花岡さんには、その後も個人的に
会いに行ったりしました。
インターナショナルスクールに娘を通わせる
場合、親の一人は帯同ビザが取れます。
え?
一人?
我が家のパワーバランスを考えて、
一枚の帯同ビザを取得するのは
明らかに奥さんです。
このままでは、わたしは日本で一人ぼっち。
わたしは、マレーシアで就労ビザを
取得するためにマレーシアに一人で
移住することを決断しました。
娘には、日本人としての
アイデンティティをつけさせるため、
娘は小学校の高学年までは
日本で過ごさせることにしました。
運がいいことに、
知人の知人をたどり、
マレーシアのクアラルンプールで
IT関係の会社を経営している方を
紹介していただきました。
本当に、ありがたいことに
ITなんてまったくわからない
わたしをその方は雇ってくれました。
わたしは、クアラルンプールで
就労ビザを発行していただき、
働くことができました。
※私は人との縁に恵まれいます。
そして、2017年1月10日。
わたしはクアラルンプールでの
生活を始めました。
コンドミニアムで男3人の共同生活。
当時42歳のわたしにはなかなかの修行です。
それにもまして、右も左もわからない
IT関連の仕事に苦戦。
せっかく雇っていただいた方へ、
なにも結果が出せず迷惑をかけている時間が
心苦しくてたまりませんでした。
クアラルンプールで塾をつくりたい
その頃です。
頻繁に夢に出てきたのが
塾で授業をしているときに風景でした。
不思議と、塾の夢を見た次の日は、
気持ちよく目覚めることができました。
やっぱり、俺は塾が好きなんだなーって
実感しました。
就労ビザを取るための移住。
その目的は、
「マレーシアで会社を設立して塾を運営する」
というものに進化しました。
いつか、
「マレーシアの子どもと山口市の子どもをネットでつなげ、山口市の子どものグローバル化の一助になる!」
という夢もできました。
はじめは、単に塾で仕事がしたいという
気持ちだけでした。
夜中、そのことを考えていると、
いてもたってもいられなくなりました。
ネットでクアラルンプールの塾を検索。
そのとき、心を惹かれた塾がありました。
その塾のホームページは、
生徒の笑顔であふれていました。
すぐにfacebookのメッセンジャーで
メッセージを送りました。
私は、2018年1月から
その塾でお手伝いをさせて
いただけることになりました。
その塾でお手伝いさせていただき
直接、KLの生徒たちを教えることができました。
その塾にはJSKLに通っている生徒も
インターに通っている生徒もいます。
その塾では、子どもたちの夢について
考えさせる時間を大事にしていました。
わたしは、
そのことにとても共感するとともに
とても勉強させていただきました。
「なぜ、勉強をする必要があるのか?」
よく子どもたちから聞かれる質問に
自信をもって、
「それは、君の夢を叶えるため」
と答えれるようになりました。
また、お手伝いをする過程で
いろんな課題も見えてきました。
わたしが塾を作るために
日本では当たり前の授業スタイルである
「集団授業」と「個別授業」は
できないことを痛感しました。
それは、KLでは就労ビザを
大量に発行することはできず、
人を雇うことができないからです。
その塾で勤めながら、
わたしは、KLで会社を作り、
自分の会社から就労ビザを発行する
手続きを始めました。
自分の会社で就労ビザを発行する
手続きの過程で、KLで就労ビザを取るって
本当に大変だと痛感させられました。
おそらく、申請しても
取得できる就労ビザは1枚か2枚
だと思います。
就労ビザが出せないということは
人は雇えません。
そこで、わたし一人でも
成績が上がり、満足していただける塾
を考えるようになりました。
ほぼ、毎月、日本に帰り、
日本で成功している塾にアポを取り、
実際に見学に行きました。
教材会社に興味のあるコンテンツ
について説明に来てもらいました。
全国の塾仲間に相談して
情報を集めました。
そして、
「かわしま進学塾 クアラルンプール校」の
柱となる3つのコンテンツを決めました。
どんな授業が受けれるの?
その講座に関しては、こちらをご覧ください。
最新情報をお届けします