ピカソにまつわる有名なお話を紹介します。
デザインや芸術の価値を考える上で
頭に留めておきたい話です。
まずは、ご存知とは思いますが、
はじめにピカソについて説明します。
ピカソってどんな人?
ピカソhttps://t.co/mPpbWEMJ2E
どんな創造的活動も、
はじめは破壊的活動だ。 pic.twitter.com/MaAk1fgZot— 世界の名言集 スペシャル版 (@4Tanjihideo3) 2016年8月19日
パブロ・ピカソ。
教科書にも載っている言わずと知れた
20世紀最大の画家です。
桁外れの独創性とカリスマ性をもった
アートの巨人。
本名が長いことでも有名です。
パブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラ・ファン・ネポムセノ・マリア・デ・ロス・レメディオス・シプリアーノ・デ・ラ・サンテシマ・トリニダット・ルイス・イ・ピカソ
故国スペインでは名前に母方、父方、
祖父母、聖人、縁者、祖先などを
次々と足していくそうです。
長すぎて本人も言えなかったそうです。
ピカソは画家であり美術教師であった父の
英才教育のもと幼少時代からすでに
神童として抜きんでた才能を示していました。
その父が息子の才能に驚愕して
自ら絵筆をとることを止めたという
有名な話があります。
そんなピカソは、若い一時期を除けば
常に絵は売れ続け、生きている間にも
作品価格は高騰し、
最後はお城に住んでいたという
まさに美術界の王様でした。
「私が紙にツバを吐けば、額縁に入れられ偉大な芸術として売りに出されるだろう」
などと豪語し、
実際に紙切れにサインを入れただけで
レストランの食事代となったり、
愛人との手切れ金として与えた家は、
一晩で描いた静物画と交換して
手に入れたといいます。
破壊と創造を繰り返し、
様々な表現様式を開発したピカソですが、
とり分け「キュビズム」はまさに
「わからない絵」の代名詞となります。
しかし、この「キュビズム」こそが
ピカソの代名詞であり、その後の
美術の歴史を大きく変えた作風です。
先達のセザンヌから大きな影響を受け、
友人ジョルジュ・ブラックと共に開いた
この新しい表現は、
抽象画への道を開くなど
後年の芸術に大きな影響を残しました。
1973年に死去。
最も多作な作家としてギネス認定も受けました。
ピカソと女性のやり取り『30秒で描いた絵が100万ドル?!』
ある日、ピカソがマーケットを歩いていると
1人の女性が彼を呼び止めました。
彼女はピカソの大ファンだといい、
用意した紙に「絵を書いてくれないか?」と
尋ねます。
その言葉に微笑みを浮かべ、
ピカソは小さくも美しい絵を描き始めました。
そして・・・
「この絵の値段は100万ドルです」
と女性に言い、絵を渡しました。
それを聞いて驚いた女性は
「この小さな絵を描くのに、
あなたは『たった30秒』しかかかっていないではありませんか」
と言葉を返します。
その言葉を聞いたピカソは苦笑しながら
「お嬢さん、それは違う。30年と30秒だ」
と言います。
ピカソが「30年と30秒だ」と言った真意とは・・・
確かにこの絵を描いた時間は30秒かもしれません。
しかし、そこに至るまでにピカソは
何十年と技術を磨き続けてきました。
モノの価値というのは、その人物が
そこまで積み上げてきたものも
含まれています。
ピカソが言おうとしていることは、
何かを作る全てのクリエイターに
当てはまることだと思います。
とても考えさせられる記事ですね。
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