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ある投稿者がツイートした1台のパトカー
の写真がネットで話題になっているので
紹介します。

その写真は、投稿者が福島県双葉郡にある
双葉警察署を訪れたときに撮影されました。

無残な姿の1台のパトカー

この投稿者が双葉警察署を訪れたのは、
1台のパトカーにお供え物をするためでした。

原型が分からないほど、
車体が大きく潰れているパトカー。

そして、傍にはたくさんの花やお供え物が
置かれています。

このパトカーは、2011年に起こった
東日本大震災によって、このような姿に
なってしまったのです。

パトカーについて書かれた看板には、
「震災遺産 津波被災パトロールカー」
と書かれています。

住民を守るため、最期までパトロールを続けた警察官

看板によると、2011年3月11日、
このパトカーには増子洋一警視(当時41歳)
と佐藤雄太警部補(当時24歳)2人が警察官
が乗車していました。

大地震が発生した直後、
住民に避難を呼びかけるため、双葉郡の
富岡町仏浜地内を走りまわっていたのです。

そんな中、津波の脅威が彼らに襲いかかりました。

押し寄せる津波から逃げることはできず、
パトカーは激しい力によって流されていきました。

1か月後、陸地から30km離れた沖合で
増子警視の遺体が発見されました。

佐藤警部補は未だ、行方不明のままです。

無残な姿で発見されたパトカーに
手を合わせるため、多くの人が警察署に
訪れるようになりました。

やがて福島県警察は、町民や遺族と協力し、
後世に伝えることを目的として、警察署に
このパトカーを設置することにしたのです。

傍に立てられた看板には、
このように書かれています。

このパトカーは、震災直後の初動対応として津波が近づく緊迫した時間の中、使命感と勇気を胸に多くの住民を守るために職務を全うした人たちがいたこと、そして平穏な町をおそった地震や津波の威力のすさまじさを示すものであり、東日本大震災を象徴する歴史的な資料として貴重なものです。

 
 

津波の脅威を刻んだ車体を見ていると、
あまりの恐ろしさに身体が震えてしまいます。

ですが、これが映画なんかではなく
福島県を襲った現実なのです。

1人でも多くの住民を守るため、
危険な状況でも呼びかけを続けた2人の警察官。

彼らの行動によって、
きっと多くの人が救われたことでしょう。

増子警視と佐藤警部補の勇敢な行動に、
心から敬意を表します。

そして、このことを子どもたちにも
伝えていきたいと思います。

出典元:heaaart.com

 

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